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教材 反面教師としての官公用地

  「官公の敷地」 は、現代の我々が条里遺構を探るときに援けになってくれるかというと、否定的な例も少なくありません。

  その典型例は、江戸期の 「城下町形成」 です。  幸いなことに、岡山の城下町は、膨大な絵地図が 「池田家文庫」 として、岡山大学中央図書館に継承されていますから、当時の状況は容易に解明できます。  特に、町並みが明快な地域は 「番町」 で、これも幸いなことに、この地域が先の戦災(大空襲)の被害が軽微であったので、保存状態が良好です。
  しかし、直ぐに判ることは、ここでは町並みの 「ゲージ」 が違うことです。  JR山陽本線の 「南方ガード」 以北は必ずしもメッシュは明快ではありませんが、それの読み解き結果とも整合性が悪いのです。  狭義の 「番町」 の更に西側の地域(県道美作線と西川に挟まれた地域)では、メッシュに関しては 「緩衝地帯」 になっているようです。

  もう一つの困難要素は、最大の 「官」 としての旧・軍用地の問題があります。  明治の40年代初頭には、津島地区では既存の大きい開発はなかったはずで、条里遺構は遺されていたはずなのに、これまで検討したところでは、条里ライン(水田の畦道)を敢えて無視した造成が行われています。
  直ぐ判る例は、現・県営グラウンドの東と北とに貼り付いて走る、現・53号線です。  まず、方位を意識していません。  また、取り付け位置も、多分既にあった道に逆らっているように思えます。  勿論、戦後も含めた拡幅があったわけですが、それを斟酌しても不自然なところがあります。
  第二の例では、「市バス妙善寺終点」 付近(西)を南北に走る(バスのラインが T 字接続する) 「古称・騎馬隊道」 です。  これは、旧・騎馬隊敷地の西に張り付いた道なのでそう呼ばれるとがあったのですが、「坪」 の中央を選んで引かれたと理解できます。

  少し高度な判断では、 現・岡山大学(津島)の「北団地(津島中三丁目)」 の西辺と東辺のラインが不可解です。  西辺は、20~25m西に張り出されたことは立証できると考えます。  東辺は、そのままと言えないことはないのですが、その100m東の状況を勘案すると、ここでも10~15m東に張り出した可能性は残ります。  岡山大学に移行して以降、往時の 「鉄条網と枳殻を擁した土塁」 から 「ブロック塀」 に変えられた経緯などもありますが、逆にバス道のために一部分割譲した例もありますが、それらを復元してもここに書いたことは大きくは修整されません。

  軍用地でしたから、敷地の角は凸角だけでなく、凹角が設けてある・・・とは、言い伝えられていることですが、そのような地取りはこの地域で4~5箇所見受けられます。  その構造のために、従来のラインを敢えて崩したと理解できるところはあります。  現・農学部の南辺のライン、正確に言えば、「官用合同宿舎群」 に割譲した部分の南側です。
  一番南のライン(長さ220m程度)は古い畦道を継承していると理解できますが、東の部分/西の部分は、内側に(北側に)引き下がっているように見られます。 [06/02/09 一部字句修正]

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