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教材 山陽線の踏切

  JR山陽線本線には、旭川と笹が瀬川との間には、踏切(平面交差)は多分三箇所です。  殆んどの部分が、河川がらみの高架状態や、地下道・跨線橋で交差しています。  これらの位置や、名前がある場合には名称が、やはり重要な記憶を留めています。

  東(北)から眺めてゆきます。  最初は県道・美作線が潜る 「南方ガード」 (公式には「新柳川架道」) です。  実はその東にも 「兵団の道」 に繋がるガード (これが「南方架道」) があり、いずれも道は南北に横切りますから、相互の東西距離は約100mです。
  「
通称・南方ガード」 の南西には、平面交差の 「平畦踏切」 があります。  道路と水路が入り組んで複雑ですが、ここは 「メッシュ」 の観点から言えば、道は東西に横切っていると見るべきで、JR津山線に関して述べた 「天神縄手踏切」 のラインの110mほど南の線上です。

  その次は、明治15年[1882年]に造られた記録される 「新・津山街道」 の斜め道と平面交差します。  これは、いまの 「メッシュ」 の議論の対象ではありません。  なお、脱線しますが(列車が ぢゃありません)、この踏切の60~70m南東で、この道は西川と交差しますが、そこに架けられた橋は 「新橋」 の名称で、市内で一番最初の鉄筋コンクリート橋だと言われています。(ODM紀要)  また、この 「斜め道」 のこの辺りの部分は、明治40年代以降には 「師団道」 の名で呼ばれる不幸な時代が続きました。

  話を元に戻します、その次(岡山駅寄り)は、「通称・南北方踏切」 です。  ここは、津山線との共用踏切で、道は東西に走る主要道です。  このラインは 「岡山放送南門前」 の東西道から670m、平畦踏切の南へ230mに位置します。  この辺りで、10~20m南にたわんでいる可能性がありますが、この道が 「里境」 であることには異論はないようです。

  平面交差は、これまでに述べた三箇所ですが、次に遭遇するのは、数少ない 「横断歩道橋」 です。  岡山駅の駅施設の北東の 「気動車区(庫)」 の近くに、東西に横切ることを意図した、自転車さえ予定しない、簡素な橋が架けられています。  これは、西から登り口に至るラインが 「方踏切」 を横切る道から南330mにありますから、このラインの 「代償物」 として作られたと理解されます。  なお、その建設時期はそれほど遡らないかもしれません。  あるいは、筆者の想像で、裏づけはありませんが、線路の東の 「南方小学校」 への通学路を意識したものかもしれません。  調査を要します。

  1960年代以降の自動車主導の道造りになると、ここで考える 「鉄道が既得権に譲歩する」 タイプの越道施設と意味が違ってきましょう。  「53号線/180号線跨線橋」 も意味のないところに建てられているのではありませんが、その議論はパスしましょう。
  この跨線橋の原始の形が、その南約200mのところにありました。  1960年ごろまで(詳細要調査)「萬町(よろずちょう)踏切」 と呼ばれた、『開かずの踏切』 です。  これは、「奉還町商店街」 を西から東に行った先で、江戸期の 「西国街道」 の最重要ラインです。  今では、自転車(含・自動二輪)と歩行者専用の地下道が残っています。 (既得権の代償物です)

  その次の位置には、自動二輪以下用の地下道があります。  岡山駅本体の主要施設の南西の端で、「操車場域」 にバトンタッチがなされる辺りに、それがあります。  細かい議論を今は避けますが、既得権の代償物であることは論証できそうです。  余談ですが、ここでは、用水までが地下道になっている形跡があります。(詳細調査必要)

  自動車主体の巨大地下道の議論を避けて、東に島田本町(二)/西に高柳東町を見ながら南下する道に着目します。  この北入り口は、北に延びる長い道(1km弱)の上にあります。  JR吉備線の 「下伊福 一」 踏切の真南です。  しかも、操車場を越えた南には、更に、900mほどは延長できそうです。  なお、この南北ラインは、西川のラインから測ってみると、およそ1550m(110X14)程度あります。
  地下道の名前は、現地で調べたところ、「二十四ノ坪地下道」 です。  この名称には興奮させられますが、詳しくは別項で述べます。

  更に、(操車場の北側で)西に520mほど行くと、20世紀末の大改修までは歴史的に一番古かった地下道 ; 「野田地下道」 の北入り口(旧)が地図に記録されています。  この入り口は、周辺を見直すと、この付近だけ、20mほど道が東に捩れています。(520+20⇒110X5)  これは、「三門小の西辺と大元小の東辺」を結ぶライン上にあることが判ります。

  「北長瀬」の、今で言えば、「岡山ドーム」 の西を通る地下道は小型車が漸くすれ違える幅ですが、これに関しては、別項で述べます。

  筆者の言いたい結論は、そこそこに断片的に書いていますが、まとめて明文化するのは省略しておきましょう。

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