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教材 自転車がようやく通れる道

  「自転車がようやく通れる、幅の狭い道」 は情報の宝庫です。  そのような道が消し去られなかった理由があるからです。  「踏み切り」 の場合と同じように、「入会権」  のような  「慣行」 の権利が容易に解消できないからです。  長さが約200m、約300mある場合、第一級の教材と言えるかもしれません。  両側あるいは片側が、比較的高い塀で区切られている例も興味の対象になります。
  もし短くても、前後にスムーズに延長接続できる道がある場合には、意味のある道かも知れません。  筆者の認定では、見かけ上の長さが60mだが、1400mほど離れて一本の道に繋がる可能性のある場合があります。

  具体的な例を調べてみましょう。  比較的長いもの3例、極端に短いもの3例を示してみます。
  筆者が着目した順に述べるならば、第一の例は 「岡山放送KK敷地」 の西南角から、南に向かって300m強 続きます。  5~7m横ずれしてクランク曲がりすることを許すならば、更に南に100m強 延長でき、北へは「岡山放送 西辺」、「こどもの森 駐車場中道」 を含めて、250mほど伸ばせます。  この道は、今から50余年前の少年(筆者)にとって不思議な道でした。  他人の田圃の中を、村人が我が物顔に通るのです。
  ここで、蛇足ですが、100m強、300m強 という数値は、条里の 「モジュール」 なのです。  
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  第二の例は、このラインから東へ230mほど隔たった、南北長約230mの小径です。  狭いところでは、こどもが手を広げると、両側の塀に届きますから、100cm未満の幅かもしれません。  この220m程度の間隔と長さから、「モジュール」 が想像できますが、これが条里の畦の名残かどうかは、実際に見て判断されるのが一番です。

  第三は、

  短い例の第一は、「岡大(津島)北団地の西南角」 辺りにあります。  説明が難しいが、この西南角は凸角でなく、「忍び返し」 というか・・・ 敷地が50m四角ぐらいだけ 「喰いちぎられた」 凹角になっています。  その喰いちぎられた50m四角の真ん中を南北に、短い道があるのです。  今あるだけでなく、50年ほど前は、乳牛牧場すれすれの踏み分け道を郷人が闊歩していました。  25m程度の迂回すれば舗装してあるのに。
  この際、筆者がなぜこの道に拘るかを述べるならば、このプロジェクトで南北基線に設定した 「岡大銀杏並木」 から約220m 西にあること、1.3km先(南)で 「県営グラウンド南口」 に達し、「清心女子大東辺」 に繋がることにあります。  もう一つ重要なのは、軍用地(現在・岡大&県営グラウンド) に抑えられる前夜の明治40年ごろまでは有力な里道だったこと[明治31年陸軍地図参照]によります。

  第二の例は、「商大付属高校(旧・吉備商)」 敷地の西辺南角あたりにあります。  南北に、実質90m程度です。  北側は、現在の53号線に吸収されたと理解されますが、900m 先の 「旧・北富」 地区で水路単独のラインに繋がり、岡大敷地を 600m 程越えて、岡大学裏の 100m 程のラインに繋がります。  南には旨く繋がるラインがないので、これだけでは取り上げるのは無理ですが、筆者としては、2つの傍証を得ています。  一つは、岡大裏のこの地点には陸軍時代から 「自転車以下」 の 「入り会い道路」 が維持されていること。  も一つは、陸軍敷地になる前のM31年地形図に、このラインを南下する道が明確に描かれていることです。 これは、X=+1 のラインと理解されます。

  第三の例は、

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