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教材 小学校の敷地

  岡山市の例では、旧市内の小学校や統合で閉鎖された小学校は明治の20~30年代に現在地に置かれて、100年を越す例も少なくありません。(沿革としては明治5年の創設を受け継いでいる例もあります)  敷地が大きく変更されていない場合には、100年以上前の周囲の状況を凍結保存していることになります。
  ただし、小学校の敷地境界は、運動場の扱いを巡って拡張された経緯もあるようなので、注意深く見なければなりません。  例えば、大正末から昭和10年ごろの岡山市地図(一般市販品) をみると、[寸法/方位の精度が充分ではありませんが] 今見る姿と異なっている例もあります。 今の姿から過去を推測する立場で読み進んで下さい。

  教材としてみる場合には、
 1) 敷地面積を調べる。  多くの場合110mX180m程度の長方形である。
 2) 敷地周囲の道の構造を確かめる。 長方形の方位はほぼ東西南北である。
 3)周囲の道路を東西/南北に延長する。 少し離れた道につながることがある。
 4)普段使われない門を仮に出ると、まっすぐの長い道が続いている場合がある。

ことで見えて来るものがあります。

  このとき注意する点は、戦災を境に敷地境界が変更されたり、幼稚園/保育園の併設で敷地境界が出入りしたりする例があることです。

  実例で調べてみましょう。  筆者がこれらの点について最初に気づいたのは、「石井小学校」 の場合です。  地図上で、X=-6 のラインを追っていたときに、運動場を南北に横切っていることに気づいたのです。  そこで、現地を見に行きました。  果たして、南北両側に「門」 が設置されていました。  事実上開かずの門のようでしたけれど。
  敷地境界は、多分戦災の影響を受け、道路拡幅の煽りも被っているようですが、基本的には 「ひと坪と2/3」 のサイズで、南北の辺が 「坪境」 になっているように見受けました。  西辺は、近年の道路拡幅と、その前のプール設置で、改修されている可能性があるので、改めて検証する必要があります。  西辺が現在坪線上にあるという結論に導くのは無理でしょう。

  他の例は、「伊島小学校」 にあります。  石井小学校の例を得て、次に検証したのがこの小学校です。  地図上では、「1坪 2/3」 ルールと、「2~3辺が坪境に囲まれて居る」 タイプでした。
  筆者自身見慣れている積りの敷地ですから、それで安心していましたが、後日、実地踏査をしたところ、「石井小」 と同じように、「運動場を横切る「坪境」の両側に「門」を設置」 のルールまで同一でした。  加えて、敷地北辺の一部には、隣地との間に幅1m強、長さ50m程度の 「多分誰のものでもない土地」 が化石化して保持されていました。

   現場の写真に興味のある方は、クリック![準備中]

  「旧・出石小学校」 の例も判り易いかもしれません。  この文を執筆している時点に、「再開発」 の槌音が響いていますが、半坪の 「公園敷地」 を挟んで 「西川」 の西川に貼り付いた形で立地していて、幼稚園の部分を含めて、「1坪半 サイズ」 であると理解されます。  この、併せて2坪分は 「坪境」 に囲まれていると理解されます。

  「三門小学校」 の例は、敷地が南北に長いけれども、ほぼ同じルールに従っています。  なお、この小学校は、昭和28年[1953年]のスタートで、明治以降の開発を経験した後に残った田園に立てられたと理解される例であることは注意を要します。
  同じことは、新制中学校としてスタートした 「中学校」 のいくつかでも言えることです。  判りやすい例は、往時、街区の中に建てられた 「桑田中学校」 です。  結論的には、この敷地は 「2坪分」 の中にスッポリ納まっているように見受けられます。
  話の逸れついでに、「石井中学校敷地」 にも触れます。  この敷地も(現地を踏んでいませんが)「1坪2/3」 にスッポリ収まっているようです。

  「旧・南方小学校」 は、ほぼ同じルールで語れますが、2~3の理由で要注意です。  まず、直近の敷地は東西に読み取れますが、戦災前には南北敷地であったようです。  また、分離・創立が大正12年[1923年]で、既に街区として開発されていたであろうことはメモしておかねばなりません。  しかも、その 「街区」 は江戸期の 「番町創設」 の影響がここまで及んで、『南北道の間隔に関して、「109m程度のゲージ」 が変更されている可能性』があるのです。

  「旧・弘西」、「旧・深柢」 の場合は、江戸期の街区の中にあって、東西のモジュールに関して、「109m程度のゲージ」 が変更されている可能性があります。  が、これらの敷地についても、東西の道路に関しては、「坪境」 を維持しているように思われます。    

  ここまでに判ったことを総合すると、次のことが言えます;-

  石井小と三門小の北辺はともに同じラインに乗る。
   (三門小北辺と石井中南辺は、この同じ道に接する。
    また、石井中の西辺と三門小の東辺は共通ライン。)

 石井小の運動場を横切る南北ラインは桑田中の西辺を通る。
 旧・出石小(公園も含めた敷地)と旧・南方小(戦後敷地)は西川ラインに接する。
 旧・深柢小の南に貼り付く商店街の南辺(西大寺町筋)と桑田中北は同一線上。

 南の方まで拡張するのは問題かもしれないが、「大元小敷地」 の東辺は
   石井中西辺と三門小東辺の(共通の)ラインと繋がる・・・ ことも言えます。

それぞれの敷地がメッシュ構造の中に埋め込まれていることがわかります。

  もう一つ、蛇足を付け加えます。  小学校区/中学校区の境界には、重要な情報が埋め込まれています。  昔の大字/村/郡市(郷) などの境・・・ つまり、古代の豪族の勢力圏境界を遺している場合も少なくないのです。

 

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