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アートとサイエンス

  アート(美術)とサイエンス(自然科学)について少し書きます。 O・学兄のことを書いた、言い訳の続きですけど。

 アートとサイエンスは両極端のように捉えられています。 最近脳科学でも、いかにも、認識・知覚の分担領域が異なるとか言われますが~~
じつは、それほど両者に隔たりがあるとは思えません。

  先ず、自然科学の側で言うと、「不易性」が要請されます。 それぞれが、自分勝手に定義したコトバを使うと、科学の議論が成り立たないのはその通りです。 が、実は、自然に対するイメージは各人各様です。 自然の捉え方は個々別々なものだと、私は、思います。 サイエンティストそれぞれの 「感性」 に依存します。
  
それより大事なのは、科学(者)が常に 「真実」 を述べるか? という点です。  哲学的な、難しい 「真実/事実」 議論をさておき、科学者が自分が真実や真理を追究していると思ったら、奢りというものです。 自然現象を語る、共通のコトバを紡いでいる・構築しているということなのでしょう。

 「実験事実」 ってのは 「実験条件」 を充たした現象だけの集合体だということです。 自然現象をある 「実験条件」 で切り取った 「断面だけ」 を示しているのです。 ですから、個々の切り取り方に応じて、自然は違う顔を見せます。
  どう切り取るかの選択は、個々の 「感性」 に依存すると言いたいのです。
  「スイカは丸い (ほぼ完全に近い)球形 だ」 と言ったとしても、通常異議を唱える人はありません。 「かぼちゃは球形だ」 と言うと失笑を買います。 他方で、シルクロードの西方では、スイカは丸くはありません。
  スイカは四角い箱の中で育てると、四角(ほぼ立方体)に育ちます。

  私の表現力不足で上手く書けませんが;-
(自然)科学者10人に同じ答え(目標)を期待するのは多分間違いだと言うこと。
むしろ、科学者の側が 「同じ答えを探している」、「同じ答えに、早く、到達する『競争』をしている」 と勘違いしているところに危うさがあると言えます。 お叱りを受けることを承知で言えば、「超伝導現象」 の発現温度を引き上げる=常温に出来るだけ近いところで超伝導を起こす こと自体が目的になっているのではないか? ということです。

  某議員さんが 「『世界で一番』 のコンピュータがなければダメなのですか?!」 と叫んだのに、どんな答えを用意できているかと言うことです。

  いくつかの答えがあり得るでしょう;-
 1) 私の研究に障るから困る
 2) 外国に負けては情けない
 3)(よい成果が出ないと)あなたたちが困る
 4)環境問題に対処するため必要
 5)(あるかも知れない)宇宙人の攻撃に備えるため必要

さてさて

  ちょっと混乱してきました。 また整理し直します。

いきなり、アスリートに話題を振るのは卑怯かも知れないが、
「なぜ 『金』 じゃないといけないの?」
大きな国家予算を 『金メダル』 につぎ込まなければいけないの?  
    某議員予備軍さん!

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