わたし

戻りました

  5週間ほど、入院してました。 車検みたいなものです。
その前の4~5ヶ月は、神社・仏閣や公共施設の影像記録の作業に集中していました。

  『道』 に関しては、GPS 位置検出装置の購入を検討しています。 1万円程度から100万円未満まで、実にたくさんの種類が売り出されていますね。
パソコンと繋ぐことを想定するか、カメラに連動させるかが機種選定の別れどころです。

  ・・・ ということは、野外調査に出ようということです。  この半年ほどは、野外調査の内でも、位置依存性の強くない項目でしたが、『道』 だけでなく、『城(城跡)』 や 『水路』 などの探訪にも活かせると思います。

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改題しました

  オッチョコチョイのラスカル爺さんは、今夜突然に、Blog の表題を変更してしまいました。  相変わらず宜しく!
  蛇足ながら、・・・ アメリカの映画アワードに悪乗りしたのです。

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なぜなの?

なぜなの?

  この 『道を極める』 プロジェクトは、最初は、表面的には、「古代の(条里の)道の遺構を読み解くことで、古代の尺度を復元する」 ところに大きい目標がありました。  筆者自身が仮に、『数理考古学』 というネーミングを考えたほどです。  少なくとも、自分ではその辺りを目指していました。  しかし、少し作業を進めてゆくうちに、プロジェクトの方が制御が利かずに、勝手に動き出すのです。  05年の10月半ばから、そのような日々の連続なのです。
  表現を変えましょう・・・ オカルティックな意味ではないが、「人は因縁に操られる」 と経験したことはありませんか?  別の言い方をすれば、「自分で、無意識に、因縁の糸を手繰り寄せる」 と気づいたことはありませんか?  そのような経験の積み重ねなのです。  ドゥジャヴ というような、一昨日気になって忘れていたことが今日 「向こうからやってくる」 ような、・・・

  一方で、条里格子のジャングルジムに分け入るほどに、いにしえ人はどんな「思考原理」 に基づいてこの作業をなしたのだろうかという想いに駆られます。  条里の正方形格子は、一辺が100m強の正方形と、それを6X6個集めた650m程度の正方形が基本単位である(あった)と考えられています。  ナスカの地上絵ほどではないが、身の丈に較べて相当大きな規模で、大地に線を引き、道や用水を創った人々の想いに気持ちが向きます。  南北方位維持に対する執念(?)、方位維持を諦めたときの決断、直角実現の努力、何もないところに一本の線を引く剛い意志、既に線(道)があったときに折り合いをつける柔らかい心、・・・

    <地図の引用>   Google の Web 地図 の場合
  地図の注釈 : 条里の故郷・奈良盆地の例 完全な方形格子ではないが、中央を東西に走るラインは4km弱の長さが認められる。  近隣には、完全方形もある。

  『極道な 唄 2』 では、「単発・連載小説気分で」 、『数理考古学』 をこれからも続けます。  こちらでは、『心理考古学』 を目指して、「同人誌に投稿する程度の短編」 を書いてみたいと思います。
  古代の人々の心理に探りを入れる作業と、これに向き合う自分の心の揺れを見つめること・・・

これまでの経緯 (「道フェチ」 の経歴)

  これまで、どんな経緯を踏んだか書いてみましょう;-

  短いスパンで書くと、昨年(05年)の9月8日付けの、「ODM 初出動」 のメモが見つかりました。  つまり、 新しく出来た 『岡山市デジタルミュージアム』 の 「市民学芸員」 という名のボランティアに出始めたことが一つの大きいきっかけです。  その背景の中で、10月14日に、『岡山県立博物館』 で 「津島遺跡」 に出合っています。  これは直接的な引き金です。
  が、そのまま少し遡ると、7月11日の Web 日記に、『私は 「道フェチ」 である』 と述べて、これからの話で東西の基準に選ばれる 「小径」 の話を書いています。
  
今回、条里の方角格子に注目する前なのに、「小径」 (現・岡山放送KK南門前) の話には、『小学6年のときに、これに直交して南北に通る踏み分け道があって、不思議な気がした。  50年を経た今でも、原チャリ以上を拒否する郷道として継承されている。』 と述べていて、これを検証すると、条里のラインに一致するのです。

  話のスパンが、いきなり50年昔に遡ってしまいました。  <1200~1300年昔に較べればほんの昨日のことですけど。>  小学/中学時代に遡れば、筆者は、なんと・・・「お寺巡り」 に熱心な少年でした。  主なターゲットは、三重/五重/多宝塔でしたが、乗り始めた自転車が好きで、それで県境を越えるほど走り回っていました。  それが下敷きにあるのでしょう。  「自転車乗り」 というのも、今の場合のキーワードの一つでしょう。

  40年余り、サラリーマン(教師・物理学研究者)の生活をしますが、還暦直前に四国遍路を経験します。  3年ほどの 「繋ぎ打ち」 で、歩きと自転車での一巡が出来ました。  これは、『道フェチ』 の学士論文 (卒論) みたいな位置づけになるのでしょう。  遍路道では、幾度も 「道に呼び寄せられる」、「道から教えられる」 体験がありました。
  年表を見れば当然のことですが、遍路道で、「大師 1250年大遠忌」 と書かれているのを見ると、改めて、条里の道と遍路道とは殆んど同じ時代の 「遺構」 だと気づかされるのです。
  自分たちの心の中では、古代に対するロマンと蔑みの心とが同居していて、「社寺の建築が連綿と続いていること/その技術が確立していたこと」 には何の不審も抱かないが、「条里制が施行され遺っていること/それだけの技術があったこと」 にはなんとなく否定的な気持ちが働くのです。

  例えば、私が道端に蹲って、用水の幅など測っていると人が怪しんで、「何してるんですか?」 と訊いてきます。  わたしは、「この道は1300年もその前から人々が往来した道なのです。  その証拠を探しているのです。」 と答えると、(子供達に危害は加えないかもしれないが・・・) 不審者! という眼で足早に通り過ぎてゆきます。  も少し反応を示す人でも、「それで?」 という反応が返ります。

  「それがどうしたの?」 という話が続きます。

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はじめまして

  主催者のラスカル爺さんです。  宜しくお願いします。  今から1300年ほど昔の人々の足跡を探しています。  足跡の石膏型を取ろうとかいうのではありません。  昔の人が、生きて、田に汗して、歩いたであろう「道/路/径」の痕跡(遺構)を探しているのです。

  「3」 の番号が示すように、これまで、幾つかの B-Log を渡り歩いてきました。  それぞれの B-Log には特徴があって、味があるのですが、今書き残したいことに性能がマッチしません。  放棄するのではなく、使い分けをしています。 
 
 某所では、日々 『単発で』 を書いています。  ここでは、10日に一遍程度まとめて、『短篇小説』 に仕上げます。  『中編』 を発表する場については、準備中ですが、今は公開しません。  学術的な 『長編小説』・論文に育つかどうかは、読者の皆さんのご批判次第です。

  どちらの B-Log もご贔屓に願います。

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